某日、内装仕事で工房。移動読書は瀬々敬久著『映画群盗傳』を読む。瀬々さんの文章は映画のコメントでよく目にするが、まとまったものは初めて読んだ。いや、面白い! 面白いだけじゃなく、常に「より良くしよう」と闘っている文章で、激しく触発されてしまう。しかも、アタシが今現在、絶賛考え中の問題について、当時の瀬々さんが文章に残してくれていてとても参考になる。こりゃあ、すげえ本だ。瀬々さんは優しくて激しい。おい、邦画に関わるニンゲンは読むことをお勧めするぞ。あまりに面白かったので、文中に度々出てくる川瀬陽太のおじさんに電話してしまう。川瀬さんと飲んでいると、瀬々さんの影響を多々感じていたのだが、その理由がわかった。午前中は伊藤くんと二人で清澄の現場の取り付け作業をして、物が置けないくらい雑然とした工房内を片付ける。ダンボールが大量にあったので、紙屋に出す。ハイエースいっぱいに積んで、引き取り額はジュース2本分だったかな? そのまま鉄くずを積み込み、スクラップ屋に出しに行く。デカ物が多かったのと、F線が大量にあったので結構な金額になった。残業して工房を片付けて帰る。暑くてやってられねえ。帰るとカミさんが空調服を買ってくれていた。カミさんの優しさに感謝していたら「熱中症で倒れられたらマイナスだから仕方なく買ったんだ」「これで死なねえから休みなく働け」と言われる。夜、瀬々さんの『映画群盗傳』をゆっくり読む。アタシは最近、制約の多い商業大作ではなかなか面白いことが出来ねえんじゃねえか? と感じていて、尖った作品を自由に作るなら低予算作品か自主映画しかねえと考えている。一昔前はセンスのいい中規模作品が多かったが、現在の邦画界はその規模の作品では回収の見込みが立ちにくく、大規模作品と超低予算の二極化だ。そんなことを考えていたら、「低予算ならなんとかできよう。自主製作に自主配給。闇を斬り、間隙を縫い、諸国を行脚する。これは忍びの者でもあるし、カムイ外伝でもある。当然、身分は卑しい。婆娑羅だ。悪党だ。作る映画も思い切りせこい。ただし、闇を斬る殺傷能力は抜群だときているし、鮮烈さにおいては他には負けない。」という瀬々さんの文章に出会って、声を出してしまった。瀬々さんは1995年当時にこの文章を書いている。やっぱそうだよな。30年前から変わってねえ邦画界のどん詰まりに失望しつつも、瀬々さんの言葉に力をもらった。悪党になってテメエが面白いと思う映画を追求し、なんとか今世をしのぎ回るしかねえなあ。
某日、内装仕事で清澄。移動読書は引き続き、瀬々敬久著『映画群盗傳』。朝、工房で守屋文雄さん、嶺豪一くんと会ったので瀬々さんの『映画群盗傳』を絶賛してお勧めしておく。アタシは清澄の現場に派遣されて、外から窓周りのコーキング作業。めちゃくちゃ日差しが強く、コーキングがすぐに硬化してしまう。直射を避ける場所もなく、滝のように汗をかきながらの作業。カミさんが買ってくれた空調服を使うも、熱風が吹き出るだけで全く涼しくない。窓を40枚マスキングしてコーキングするのだが、暑さでマスキングをうまく貼れなくて参ってしまった。頭が働かず手が震えちゃって、まっすぐ貼れねえんだもんな。休み休み作業するしかねえ。予想以上に時間がかかってしまい、昼飯を食う気にもならない。コンビニでアイスを買って食う。午後3時に終わって、工房に戻って什器造作。工房が天国に感じるくらい涼しい。帰ってからも体の火照りがとれず、すぐに寝てしまう。
某日、昨日は軽い熱中症になっていたのだろうな。朝起きると体のだるさがなくなっていて安心した。たくさん水分も取っていたし、休憩もしたんだけどなあ。本日は朝から下北沢に出る。移動読書はもちろん瀬々敬久著『映画群盗傳』。下北沢K2で黒沢清監督『Chime』を観る。主演の吉岡睦雄さんがさすがの芝居をしていた。黒沢組に出ていても吉岡さんの個性は消えず、見事に吉岡睦雄だった。さすがだなあ。続いて濱口竜介監督『悪は存在しない』を再見。今回は「UDcast」というスマホアプリを使って、足立智充さんの音声ガイドを聴きながら観る。観ると書いたがなるべくスクリーンは眺めずに、音声ガイドだけでどれだけ理解できるかをためしてみた。まず、音声ガイドのシナリオを作るのがスゴイと思う。カット毎の説明に驚いた。決まった尺に収めるセリフ量の計算だったり、説明するモノの取捨選択が大変だろうな。録音もセリフに被らないようにガイドを入れたり、思ってもみなかった技術が必要なんだと気付く。ガイドのセリフ量も想像の3倍くらいあった。こりゃあ大変な労力を要する作業だ。でもやってみたいな。上映後、すぐに東宝スタジオへ。K組『G』の衣小合わせ。食堂に行ってマネージャーの井上さんと打ち合わせをしていたら、Kさんや衣装のモモさん、撮影の池田さんと照明の舘野さんに会う。皆様とヤーヤーしていたら、今日も菊地健雄さんと『極悪女王』で監督してくれた茂木さんに会う。ジャレついてきゃっきゃする。K組の衣小合わせは、アタシの出し時間を気にしてくれていたのだが、やっぱり伸びてしまう。衣装はモモさんの選んでくれたモノとアタシがイメージしていたモノがぴったり来ていて流石だなと感心する。メイクで「眉毛を落とそうか?」って話になり、実際に剃ってしまう。頭はどうやらカツラをつける事になりそうだ。ハゲ過ぎていてイメージと合わなかったらしい。まあ、ハゲている分にはカツラを被ればいいだけだもんな。結局時間を押してしまう。次の和田光沙さんの衣小合わせも見学して、和田さんと新宿まで帰る。新宿から東高円寺へ向かい、水澤紳吾さんと合流。飲み屋で荒川良々さんやキーくんの実弟のトシさん、ソータローさんに合流してみんなでワイワイ飲む。眉毛がないので笑われてしまった。本日はライブハウス「UFOクラブ」で、オシリペンペンズと三上寛さんの2マンライブ。そして間に良々さんがDJをやる。水澤さんと小屋に入ると、田口トモロヲさんとお会いする。トモロヲさんは三上寛さんのライブを追っているらしい。山下敦弘さんも来ていてヤーヤーする。アタシはペンペンズのグッズ販売を勝手にやりながらライブを見る。ペンペンズは相変わらずペンペンズでよかったなあ。モタコさんが「最近一番体調がいい。パンクも体調が大切!」って言っていたのが印象的だった。俳優も同じだよな。若い頃って体に無理がきくから「健康とか体調とか語ってるパイセン、ダセー!」って思っていたけど、最近は「長く続けたいから健康に気をつけなきゃ」って思っちゃうし。三上寛さんは名曲「夢は夜ひらく」をやってくれて感動した。今日のアコギは坂本慎太郎さんのを借りたらしい。どうりで会場に坂本さんがいるわけだ。久しぶりにライブに来れたし、すごくよかったなあ。夜の高円寺を水澤さんと歩きながら、感想をワイワイ言い合う。
某日、午前中、実家に行って明日からの最上川小判捜索の為に必要な機材や道具の準備。現地に行ってからの買い出しを極力抑えたいので、1からチェックし直して積み込む。6人が乗るので荷物でいっぱいになりそう。使う可能性の低い道具を持っていかない事にする。今回積み込んだものは、ダンプカート、テント、バケツ4個、角スコ、剣スコ、シャベル2本、熊手4本、6ミリ径ナイロンロープ 25M4本、4ミリ径ナイロンロープ 30M、クーラーボックス、それに各自水中捜索用のシュノーケルや胴長、水着など。なるだけ少ない荷物で動きたいけどなあ。まあ仕方ねえ。現地に行くまで最上川の水量や水深がわからないし、どんな道具が必要になるかも想像で準備するしかない。まあ、なんにしろ楽しみだ。午後、倅と「デイヴ・ザ・ダイバー」をプレイ。一緒に島忠へ買い物。夕方、浅草へ。「ととや」で、森達也さんと白石和彌さん、石坂啓さんのメンツで飲む。もう、言いたい放題。こうやって監督同士で飲む機会ってあまりないらしい。白石さんから「マツーラは気合入って全力でやらずに6割くらいの力でやるといい」って、芝居6割説を提唱された。マジっすか?! 確かにアタシは全力120パーでやる事が多いが、6割って力抜き過ぎじゃないの? 「や、マツーラはそれくらいでちょうどいい」そんなもんなのかなあ? 今後、意識してみよう。6時から10時過ぎまで飲んで解散。しかし、次回の森さん監督作に白石さんが相談に乗ってくれるとの事で、本当に良かった! 明日からの最上川捜索に備えて早く寝たかったのだが、興奮して寝付けず。何度も天気予報を調べてしまう。2度延期になった夏季遠征。2日目と3日目の天気が不安定だが、なんとか成功させたい。
某日、最上川の飛脚小判捜索で6時に実家に集合。今回の遠征メンバーは大工の大吾さん・編集長の上田くん・俳優部の浦山くんと宮本行さん・ごーいち・アタシの計6人。それぞれの荷物を積み込み、お袋の出してくれたコーヒーを飲んで、いよいよ山形に出発。前回の冬季遠征では極寒で最上川に入れなかったが、今回の夏季遠征では天候と川の水量に左右されそうだ。ごーいちの運転で白鷹町を目指す。ごーいちは前回も運転しているので安心していたのだが、初っ端から道を間違えてしまう。おいおい、大丈夫か? 高速では矢板で事故渋滞に巻き込まれたが、他は概ね順調だった。や、順調というか矢板の渋滞時にアタシがションベンを我慢できず、「漏らすか」「紙コップに排尿して捨てるか」の2択になった。多数決の上、コンビニコーヒーの紙コップに排尿する事になったのだが、これがなかなか難しい。普段、自分がどれくらいの尿量を排出しているかなんて知らないから、紙コップに収まるか不安だったのだ。で、いざ排尿してみるとコップ1杯じゃあ全然治らなかった。途中でションベンを止めてごーいちに満タン紙コップを渡し、路肩にまいてもらう。「マツーラさん、もうちょっと少なくしてください! ションベンが溢れそうで」と、ごーいちが言う。紙コップギリギリまでションベンを入れてしまうと溢れそうらしい。そんなこと言ってもションベン止めるのって大変なんだぞ。2杯目もあっという間に満タンになり、3杯目でも終わらない。3杯目を路肩に捨てようとしたごーいちが、手を滑らせてコップを落としションベンを全身に浴びる悲惨な事故が起きた。紙コップがふやけていて柔らかくなっていた事が原因だろう。悲鳴を上げた後、何かを諦めたように静かになったごーいちには同情する。まあ、こういう事もある。ごーいちが小声で「下は海パンだったからよかった」と言ったので、皆で大げさに励ます。ただ、ションベンまみれのごーいちには手を触れないように皆細心の注意をしていたのは、余計にごーいちを傷付けたかもしれない。結局アタシは紙コップ4杯分の排尿をせり。ニンゲンって結構な排尿量があるんだな。まあ、このションベン事件でごーいち以外の隊員の結束は固まったのだ。 午後1時過ぎに山形県は白鷹町に到着。中華屋「喜多楼」で昼食。アタシは肉旨煮丼を食う。お上品な味付けでほんのり味が薄かったが、一同「うまいうまい」と飯をかっこむ。2時過ぎに今回の宿泊所「白鷹荘」に到着。宿の親父の神保さんが「自由に使っていいから。なんでも使っていいぞ」と、大変おおらかな方で安心する。荷物を降ろして、早速目的地である最上川の鮎貝側の岸から今回の捜索地へ向かう。堤防までは車で入れたが、そこから川岸までは背丈以上に伸びた藪を漕ぎながらの移動。地図上では400メートルくらいの距離だったが、これが難儀でアタシと浦山くんが先発し藪を漕いで道を作りながら、ルートを探す。川岸の石河原まで出て、一同で荷物を運び込む。荷運びでも全員が率先してやってくれて助かった。こういう準備作業を嫌がる奴がいると、士気が下がる。石河原でベース基地を設営。テントを建てる作業を浦山くんと行さんに任せる。ごーいちはビデオ撮影、上田くんは写真撮影をして、アタシと大吾さんで早速川に入る。心配していた水深だが、岸の近くはヒザまで。真ん中の急流部は流れが強くて入れなかったが、おそらく2メートルくらい。水温も心配だったが、ウェットを履かなくても大丈夫そうだ。問題は川の流れの強さ。やはり最上川の荒砥周辺は流れがバカ早い。急流として名を馳せるだけある。腰高の水深でも流れが強くて立っていられない場所がある。そして1番想像と違ったのが、鮎貝側の岸から川底が全部ジャリと川石だったのだ! 今回の捜索方法として冬季遠征で高橋親方の証言「川底はアマ壁(砂泥で出来た岩盤)があって、アマ壁のくぼみにジャリが溜まっている。そのジャリの中から小判が出た」との話を参考にして、川の中に大吾さんとアタシが入ってアマ壁のくぼみにあるジャリをバケツですくい、岸からバケツをロープで引っ張り上げて、ジャリの中から小判を探すという「川ジャリ総ざらい作戦」を立案していた。しかし、これだけジャリと川石が堆積してしまっていたら、この作戦も全く意味をなさない。だって、川の底にアマ壁が見えないしぜーんぶジャリで埋まってしまっているのですもの! 高橋親方が小判を見つけた60年で、川の様子が変わってしまっていたのだ。アタシはその事実に気付いてゾッとしてしまった。今回は「川ジャリ総ざらい作戦」でイケると思っていたし、それ以外の展開になるとは考えてなかったもんね。アタシが呆然としていると大吾さんが「タイチョー、アマ壁ってどれっすか?」と、恐ろしい質問をしてくる。アタシは平静を装って「このジャリの堆積でアマ壁は埋まっているのだ。ジャリを掘って探そう」と提案し、大吾さんと共にジャリを掘ってみる。川の中央部近くを掘ろうとしたが、腰高まで水深があると潜らないとジャリを掘れない。そして潜って掘っていると、水流で流されてしまう。おいおい、勝ち目がねえじゃないかよお。仕方なく岸近くのヒザ高の場所でジャリを掘るが、20センチ掘り下げると周りのジャリが崩れてきて一向に掘り進めない。どこを掘っても同じようにジャリを掘り進めず、途方に暮れる。大吾さんも掘り進めず「タイチョー、掘れないしアマ壁がないよー」「こっちもダメっすわー、こりゃあ作戦を変えないといけねえや」一度岸に上がって集まる。テントを立て終えた浦山くんと行さんも集まって、一同で作戦会議。「川中は想像以上に流れが強く、中央部の捜索は厳しい。またアマ壁がジャリの堆積で埋まってしまっている。ジャリを掘り下げたいがそれも厳しい」という現状を報告。明日から決行予定だった「バケツリレーで川ジャリ総ざらい作戦」を諦めて、総員川に入っての水中捜索に切り替える旨を伝える。大吾さんから「そもそもアマ壁が想像つかない」との意見が出たので、アマ壁が露出している「つぶて石」を、明日早朝に見に行く事にする。そしてごーいちから「今回の捜索範囲を決めませんか?」との意見が出て、冬季遠征時に録画した映像を元に、上流は「元地蔵跡」から下流に300メートルを捜索範囲に決定する。ベースとなるテントを移動して、道具類をテントにしまい、「元地蔵跡」のより詳細な場所を見付けるために、荒砥側の堤防に移動する。冬季は一面雪景色で、現在の草木が生い茂る風景とは全く違った。しかし荒砥堤防上から映像を解析、「元地蔵跡」の場所を突き止める。この時に映像を検討しながら皆で捜索したのだが、この行為が冒険っぽくてなかなかよかった。「元地蔵跡」から小判発見場所の見当も付き、明日からの捜索範囲も具体的に決まった。日が暮れてきたので初日の捜索活動を打ち切り、地元の優良スーパー「おーばん」で夕食の調達。予算管理の上田くんが大奮発で牛肉や羊肉を購入。夕飯は豪華な焼肉となる。「白鷹荘」に戻って、広間で手際よく食事の準備をして焼肉をバクつきながら明日の捜索の相談をする。ジャリを掘り下げての捜索が出来ないので、皆で一列になり川下から上流へ上がりながら小判を探す「総員最上川に突入・各自奮戦小判を発見せよ作戦」を立案。全員の賛同を得て「総員突入作戦」が採用された。午後、8時に全員で風呂に入り、お互いのポコチンを確認。絆を深める。9時就寝。2人部屋だったので、マツーラ・大吾部屋、上田・行さん部屋、ごーいち・浦山部屋にそれぞれ入って就寝。大吾さんと明日からの捜索方法を詳細に話し合って寝る。
某日、山形県は白鷹町にて最上川小判捜索2日目。5時起床。大吾さんと起きて朝飯。レンジでチンするご飯と白鷹納豆をいただく。白鷹納豆は大粒で量も多くバカ美味い。あんだかや、これが毎朝食えたら幸せだな。まだ皆が起きてこないので、大吾さんと今日の捜索の打ち合わせ。天気予報を見たら、本日は夕方まで曇天で雨は持ちそう。よかった! 天候さえ持ってくれれば、夕方まで1日中捜索できる。6時前に皆が集合して、2日目の捜索活動に出動。一同、顔色も良く気合が感じられる。まずは「つぶて石」まで向かい、この辺の川底に広がる岩盤「アマ壁」を実際に見てもらう。「つぶて石」の周辺はアマ壁が露出していて、わかりやすいのだ。アマ壁はまさに砂泥が凝固した岩盤で、水に浸かっている部分はもろく、場所によっては素手でも壊せる。一同から「こういう感じなんですね」って理解を得られた。いよいよ最上川の鮎貝側からベース基地まで移動。昨日の藪漕ぎの効果もあって、獣道のような通りができている。ベースであるテントも無事に建っていて、安心した。「バケツリレーで川ジャリ総ざらい作戦」用に準備した道具も必要がなくなってしまったが、それも仕方ねえ。「総員最上川に突入・各自奮戦小判を発見せよ作戦」の決行の為、一同ポコチンを晒して戦闘服(水着)に着替える。20代・30代・40代のチンポコがプラプラしている様はまさに圧巻。全員の固い決意が伺えた。 午前7時、安全監視役の1名(ごーいち)を岸に残して、他5名が全員最上川に突撃。危険な川の中央には、大吾さんとアタシ、泳ぎが得意な浦山くんを配し、全員が1列横隊となって川下から捜索を開始する。アタシは最も流れの強い所に入ったのだが、どうやってもその場に留まれず流されてしまう。バケツいっぱいに石を詰めて重りにして抱えるが、上手くいかない。仕方がなく、中央部分の捜索は諦める。1列横隊で捜索する我が隊だが、ジャリの上に溜まる泥で視界が悪く思うように作業が進まない。手で泥を仰いで散らし、ジャリの中に小判や二分金、二朱銀がないか確認しながら前進する。昨日より水量が増えて水中が濁っている。もしかしたら上流で雨が降っているのかもしれない。捜索に集中していてあっという間に1時間が経っていた。休憩のために岸へ上がり、ミーティング。やはり皆ジャリを掘ってみたが20センチ以上は掘り下げられず、アマ壁も確認できない。次は上田くんを監視役に残して、再び捜索。下流からスタートして100メートルくらい進んだが、一向にそれらしき物は見当たらない。そもそも雰囲気がないのだ。しかも急流に耐えながらジャリをかくので、体力を使う。10時過ぎまで捜索したが、なかなかに厳しい感触。再びミーティングを行い、大吾さんから「思い切って渡河し、対岸を探ってみたら?」という意見が出される。確かにこの鮎貝側の岸を捜索していても、高橋親方の言った「アマ壁のくぼみ」も「大岩の下のジャリ」も発見できない。しかし、渡河をするには中央部の深い急流を超えなければならない。歩ける深さではないし、流されるのではないか? するとごーいちが「自分、言ってみましょうか?」と手を挙げた。このメンツで一番体重が重く流されにくそうなガタイではあるが、本当に大丈夫だろうか? 「腰にロープを付けてもらって、流されたら引っ張ってください」「大丈夫か?」「ま、行ける気がします」軽く言うもんだから自信があるのだろう。大吾さんのライフジャケットを借りて着させ、腰ベルトに25メートルロープを3本繋いでくくりつける。ロープをみんなで握っていざという場合に備える。「じゃあ、行ってきますー」全く緊張を感じさせない口調で、ごーいちは川を進む。中央近くまで行き、水が腰辺りまで浸かると「ああ、結構ヤバイっす!」と、笑いながら叫んだ。まだ笑う余裕があるのかと感心していたら、急にごーいちの体が沈み「あ、すいません! ダメだー!」と叫びながら流された。もう泳ぐことも出来ずに流されて行く。みんなでロープを引っ張って、岸まで上げる。流された瞬間、ヒヤッとしたが本人はそこまで危機感を感じてなかったみたいで「やー、ダメっすね。真ん中が流れが行けないっす」なんて言っていた。「やっぱ渡河作戦は無理だなあ」なんてアタシが笑いながら言ったら、大吾さんが「え? タイチョー行かないんすか?」「いや、無理っすよー。流されちゃいますって」すると特攻精神盛んな最年少の浦山くんが「じゃあ、俺行きますよ」と言ってくれる。アタシは内心ホッとして「おお、じゃあ浦山行くか?」なんて言ったら、今度は上田くんが「や、ここはタイチョーが行かないと、連載的にも話になんないでしょ」いや、アタシャ行きたくねえっつーの。大吾さんが「そうっすねー。ここはタイチョーが行くべきだな」なんて同調し、浦山くんと行さんが頷きながらアタシにロープを渡す。おっかねえなあ! 同調圧力! ロープを渡されたアタシは「や、渡れないでしょー」って言ってるのに、みんな無言で準備を始める。ごーいちが「急に深くなるから気を付けてください」とライフジャケットを渡してくる。もう、拒否できる雰囲気じゃなかった。嫌々ながら腰にロープを結んで川に入る。渡河のルートを探すが、この流れだと確実に流される。流されながら泳いで川を渡るしかない。みんなに「ロープは緩めといて。渡ってる最中は絶対引っ張らないで」と伝え、川を進む。やはり1/3辺りまで川を渡ると流れが強くなり、体をもって行かれそうになる。腹を決めて急流部に進むと、ガクッと川底が落ち込んでいて体が流される。古式泳法の立ち泳ぎのごとく、体を流れに対して横にして流されながらも急流部を横に泳ぎきる。川の流れってホント少しの差で強弱が変わる。深く落ち込んだ急流部さえ抜け出せれば、あとは意外に楽だった。なんとか対岸の荒砥側護岸にたどり着いたアタシはすぐに足元の違いに気付いた。荒砥側の川底は泥とコケで滑りやすいのだが、念願のアマ壁が露出しているのだ! それこそ高橋親方の証言通り、アマ壁がえぐれた部分にジャリや川石が溜まっている! おお、こっちじゃねえか! アタシが腰につけたロープを固定し鮎貝側から張られたロープをたどって、特攻野郎浦山が渡河する。浦山くんと二人で周辺を捜索し、アマ壁が露出している事、部分的にジャリや川石が溜まっていることを確認して、対岸にいるメンバーに報告する。「アマ壁もあるし、こっちの方が勝負権ありそうだ!」「なんか足元が全然違うっす! こっちの方が雰囲気あるっす!」アタシと浦山くんが大声で叫ぶと、対岸のメンバーがざわついて協議している。隊長として捜索場所の転戦を決定するべく「みんなでこっちに渡って探そうよ!」と叫んだのだが、対岸から返事はない。しばらくすると大吾さんから「ベースごと荒砥側に移動しましょう! 一回戻って撤収作業してください!」と、耳を疑うような声が届く。え? 戻るの? つーか、その判断は隊長であるアタシが下すことじゃねえのか? アタシが返事をしないでいると、上田くんが「タイチョー、早く戻ってー」と叫んでいる。ごーいちは道具を片付け始めているし、行さんに至ってはテントをたたみ始めた。浦山くんは「じゃあ戻りますか」って言うより早く渡河を始めている。おいおい、隊長の威厳や権威なんてねえじゃねえか。参っちゃうなあ。浦山くんが無事に渡り終えたので、アタシもロープを再び腰につけて鮎貝側に戻る。川の中央の急流部で流されそうになったので、ロープを引いたのだがロープが引けば引くだけ伸びてくる。アタシは流されながら「なんだよ、もっと引っ張ってくれよ!」と叫ぶが、一向にロープに力が加わる感覚はない。だいぶ流されたが命からがら急流部を渡りきり、鮎貝側の岸を見たら、誰もロープを掴んでいなかった。ふざけんな! 行さんと浦山くんは機敏にテントをたたんでいて、ごーいちと大吾さんは道具を片付けている。上田くんはクーラーボックスから取り出した麦茶を飲み干すのに夢中で、誰一人として対岸から帰ってくるアタシの介助をしていないのだ! あまりの仕打ちにアタシがプリプリしながら怒鳴ると、麦茶を飲み終えた上田くんがゲップをしながら「まあ、帰ってこれたからいいじゃないっすか。マツーラさんはタイチョーだから一番重いテントとクーラーボックス運んでくださいね」と、命令してきた。バカやろー! ベース基地ごと撤収し、昼飯を優良スーパー「おーばん」で各自弁当を食い、対岸である荒砥側の堤防に移動。隊長であるアタシは誰よりも早く飯を食って川に出るルートを探す。最短距離で川岸に出るルートは、背丈が2メートル以上ある笹薮でどこまで藪が続いているかわからない。早速ひとりで藪を漕いでルート工作をするが、笹薮がなかなか倒れず想像以上に川岸まで距離があるため、最短距離ルートは諦めた。しばらく歩いて元地蔵跡の雑木林から川岸に出るルートを藪こぎする。こちらは比較的笹薮も少なく川岸に出れたが、ここから川に入って護岸工事がされていない目標地点まで水に浸かりながら移動しなければならない。シュノーケルくらいしか手にしていない捜索隊は難なく移動できるが、カメラを抱えたごーいちや上田くんは難儀なのでみんなで介助しながらの移動。撮影機材は介助するのに、なんで渡河する隊長を介助しないのか不思議だが、グッと堪える。一同、目的地に移動して実際にアマ壁部分を見て「タイチョー、やっぱりこっちじゃないですか!」「なんで対岸探していたんだろう? 時間の無駄でしたよお」なんてハシャいでいるメンバーにいちいちイラっとしたが、怒りを押し殺して「午後は荒砥側の岸から急流部までを捜索する。泥が堆積しているので、泥を流してからジャリやアマ壁のくぼみをくまなく調べること。泥が散ると視界が見えなくなるので、下流から上流に登りながら捜索すること。」と、冷静に命令を下すが、誰も聞く者はおらず、メイメイが勝手に捜索を始めていた。まあ、自主性を重んじる我が捜索隊なのでここも堪える。アタシも川に入って泥を散らす。泥は手で仰ぐとすぐに散るのだが、1分くらい視界が泥に覆われて全く見えなくなる。水が澄んでくるとアマ壁に溜まったジャリや大石が見えるようになる。ジャリをすくって確認したり、大石をめくってひっくり返すのがいちいちドキドキするのだ。なんと言えばいいのだろう? お宝がありそうな期待感がすごいのだ。鮎貝側のジャリ底では全く感じなかった感覚。アタシだけではなく、捜索するメンバー全員がその期待感をもって作業に没頭している。泥を払って石をめくる。泥を払ってジャリをすくう。子供がやるような川遊びをオッサン達が真剣にやっているのだ。休憩の時間も忘れて没頭するのは、捜索が楽しくて仕方ないからだ。意外だったのは編集長の上田くんが、最深部の急流を物ともせずに潜って捜索していたこと。安全面での判断や天気予報の確認ていう重要な任務も忘れて、狩りをするオットセイのごとく、しばらく潜っては顔を出して呼吸するを繰り返していた。浦山くんは「楽しくて時間わかんなくなる!」と叫んでいるし、大吾さんに至っては没頭しすぎて全く喋らなくなっている。ごーいちは撮影したり川でウンコしたり、捜索以外で忙しそうだ。冷静に全体を見渡して各自の安全を確認し、細かく天気予報の情報を教えてくれるのは、宮本行さん。皆がフォワードで前線に走り込んでいる中、全体を見回してラインをコントロールし守備に意識を向ける姿は、フランス代表の名ボランチのマケレレを彷彿とさせる。しかし超攻撃的布陣でアタッカーの5人は守備意識0の、極めていびつなチームだなあ。アタシは捜索しつつも川の全容を把握するために川底を観察した。すると小判発見地帯の荒砥鉄橋から上流の全体像がみえてきた。おそらく近年に施工された荒砥側の護岸工事によって、川の流れが大きく変わったのだと思われる。荒砥側に広がるアマ壁(砂泥岩盤)が昔は鮎貝側にもあったのだろう。しかし川の流れが変化したことにより、荒砥側にはアマ壁が残ったが、川の中央部を境にして鮎貝側には土砂が堆積し、アマ壁が埋まってしまったのだ。だから荒砥側と鮎貝側では川底の様子が全く違ってしまったのだろう。午後3時過ぎまで休憩を取らずに捜索をした。行さんことマケレレから「夕方から雨が降る予報です! 上流部では雨が降り始めました」との報告を受け、一度みんなで集まって意見を集約。確かに川の流れが強くなって濁りも出てきた。しかし、一同「まだやれるし、ココはありそうだ!」と言うので、捜索を続行することに。水温が低いワケではないと思うのだが、体が冷えたのかアタシも排便がしたくなり、大石に掴まって水中排便をする。見事な一本グソが出たが、その様を観察していたごーいちが「うわ! ヘビ花火みたい!」と興奮していてバカバカしかった。大石をめくるたびに湧き出る期待感はずーっと続き、アタシは作業に没頭した。捜索を始めた下流部から200メートルの範囲を捜索したが、午後4時半、上流の降雨でますます増水したため、仕方なく作業を終了する。もっとやりたかった気持ちは皆同じだと思う。ただ、「ココには確実にある」という感覚があったので、明日も引き続き荒砥側の川を捜索することに決めた。 「マックスバリュー」で夕飯を買い出し。上田くんも小判発見が近いという感触があるためか、2日続けての焼肉を大盤振る舞い。宿に帰って皆で食事の準備をしていると、オーナーさん(75歳)が酒とナス・キュウリの浅漬けを差し入れてくれる。「あんたらは何しにきたの? 環境調査?」最初ははぐらかしていたのだが、どんどん酒を差し入れてくれるオーナーさんの人柄を信用し、小判捜索の話を打ち明けた。「おお、あん時は俺も拾ったさあ」とあっけらかんと言うオーナーさんの言葉に、一同驚愕する。当時の暴露話を色々お聞きする。ココには書けないけど、「そりゃそうだよなあ」って思うことがたくさん聞けた。書きたいけど、各方面のご迷惑をかけるだろうから割愛する! 皆は深夜までワイワイ飲んでいたが、隊長であるアタシは10時くらいに部屋に戻って、記録をつけ寝る。