某日、内装仕事で門仲。移動読書は引き続き大島渚著『わが封殺せしリリシズム』。朝から材料の荷揚げ。シハチの30ミリ板や什器の古材を階段荷揚げで大汗をかく。先日やった左官の補修をして工房で館山の建具塗装。午前中、井上さんから「昨日の件、やめておきましょうか」とメールがきた。電話して話して今回は見送る事にする。事務所的にもやらせたかっただろうが、井上さんがアタシを理解してくれているので助かった。お声がけいただいたのにすいやせん! 武士は食わねど、だよな。昨夜は結構迷ったが、これでいいと思う。内装仕事に精を出そう。昼に菓子パンを2個食ってすぐに作業。午後、倅から電話。「じいちゃんが救急車で運ばれてたよ。俺、救急隊員と喋っちゃった」「マジで? じいちゃんどうしたの?」「熱出たんだって。ヤスバーバが言ってた」と言うので親父に電話して詳細を聞く。じいちゃんが39・3度の熱を出して緊急搬送になったそうだ。先ほどコロナの陽性だと連絡が来たらしい。「まあ、大丈夫だと思うけど何かあったら連絡する」と言われる。カミさんも心配して実家に向かったが、救急車が出た後で、お袋とは会えなかったらしい。じいちゃんも難儀だな。なんとか建具の塗装を仕上げる。仕事終わりで下北沢に移動。「楽園」で原谷明日子作・演『タイトル 愛にきて・』を観る。田中飄さんと内藤正記さんの2人芝居。劇場で渡辺謙作さん、村岡伸一郎さん、豊田利晃さん、金子清文さんと会ってヤーヤーする。芝居は難しいなあ。いい俳優が出ていても、台本と演出によってはムムムとなる。セリフが生理的に受け付けないのは好みだろうが、もっと細部の演出を考えるべきじゃないかな。劇場を出るとプロデューサーのでっかい和田ちゃんに声をかけられ一緒にタバコを吸う。謙作さんと伸さんと「新台北」で飲む。謙作さんから荒戸一派の交友の流れを色々と聞く。流れで『浪子回頭日記』の話になり、謙作さんから「マツーラの日記は身内同士の馴れ合いでつまんねーよ。伸也から勧められたけど途中で読むのやめたよ」と言われる。耳が痛いなあ。謙作さんの選美眼は鋭いので信用している。だから残念だなあ。内藤さんと飄さんも合流して飲む。舞台制作の実情を聞いて、なんだかなあとなる。監督や演出家って大事ですわ。
某日、無職渡世。朝、倅を学校まで送って実家に顔を出す。じいちゃんの容体は安定したが、熱が上がったり下がったりらしい。コロナだったので10日間は隔離で面会もできないそうだ。歳が歳だから大事にならなきゃいいけど。帰ってうちで最上川捜索の準備。そしてイラストに取り組むがあまり進まず。午後、銀座に出て「歌舞伎座」へ。佐久本宝くんと制作部の松村さんと3人で尾上右近くん(ケンケン)の出演する夜の部のトリ『京鹿子娘道成寺 鐘供養の場』を観に行く。初の歌舞伎座で勝手が分からなかったが、番頭さん(マネージャー的役割っぽい)の案内でチケットを受け取る。一ノ瀬颯くんも偶然観に来ていて合流する。ケンケンが気遣ってくれてガイド音声もつけてくれた。ありがてえ。席も観やすい所で、何より舞台のデカさに圧倒される。まず『鶴亀』という長唄と踊り。2幕目が『寿曽我対面』。3幕目が『息子』、これが凄かった。世話物というらしいが、現代口語で見易く舞台上の美術が立派で驚く。老親父を松本白鸚さん、倅を松本幸四郎さん、捕使を市川染五郎さんが演じていた。雪降る夜の話で染五郎さんの雪を踏みながら歩く芝居がめちゃ良い! シンシンと降り続ける雪の美術もいい。そして親子の芝居。お互いがそれぞれ「親父だ」「倅だ」と気付く芝居があるのだが、そこの見せ方が素晴らしかった。まさに芝居でみせる歌舞伎で魅了された。最後は『道成寺』。もう圧巻。ケンケンが1時間近く踊り続けるのだが、その身体性や見せ方、決め方がもう爆発的に凄くて、尊敬してしまった。女性としての色気も感じてゾッとする。ケンケン、マジでとんでもねえ役者だな! こんなポテンシャルを持っていたなんて歌舞伎役者っておっかねえ。観客が決めの度に拍手するのだが、これだけ観客を魅了する役者ってそうそういないよ。なんだか誇らしくなる。素晴らしい芝居を観せてもらった満足感で幸せだ。歌舞伎座を出て近くの飲食店へ。芝居終わりのケンケンが疲れ切っているのだろうがわざわざ顔を出してくれる。さっきまであの踊りをやっていた役者を前にして興奮してしまう。芝居の事を色々聞く。そして夏の自主公演の話をされた。ええ! あれ、マジでやるの?! 嬉しくなると同時にやべえなとも思う。歌舞伎を勉強しないと。せっかくケンケンが声をかけてくれたのだから、懸命にやろう。ケンケンが出た後も4人でしばらく語り合う。お会計はいつのまにかケンケンが出してくれていた。なんだよ、そんな申し訳ない! ありがとうございました! 夜、井上さんに自主公演の話を伝える。
某日、無職渡世。やらなきゃならんことはたくさんあるが、倅が休みだったので午前中は一緒にパチンコ台を木工工作。倅は釘打ちにはまっていて一色懸命作っていた。午後、宿題を一緒にやって「ピクミン4」で遊ぶ。夕方、ツイッターで『福田村事件』が日本アカデミー賞の作品賞・監督賞・脚本賞を受賞した事を知る。最初の感想は「え? 脚本賞を受けたの?」という驚きだった。まあ、作品賞と監督賞は理解できる。森さんがどう思っているか知らないけど、出資者やスタッフの代表として受賞したのだろう。でもさ、脚本賞ってどうなのよ? 荒井晴彦さんは『映画芸術』で散々アカデミー賞を腐してきたじゃん。佐伯さんも井上さんも似たような考えを持ってるでしょ? で、いざ受賞ってなったら手のひら返して受けるのかよ! それって言行不一致でメチャクチャダサくないか?! アタシはこの業界に入って定期購読してきたのは『映画芸術』だけたった。そして映画の見方や批評を学んだのも『映画芸術』だ。正直、こうやって権力や権威に尻尾を振らないかっこいい大人だと憧れてきた。段々と映画界の内情を知るにつれ、身内ビイキや仲間意識の強さが鼻についたが、それでも影響されてきた。反骨こそが映画をやる人間が必要なものなんだと思っていた。なのにさ、なんで脚本賞を受けたの? 裏切られたようで腹が立った。アンタらの矜恃って何なのよ! みっともねえぞ! どうしても収まらずまず森さんにメールする。森さんからはすぐに返信があり「飲もう」となった。森さんはわかってるな。脚本の井上さんにもメールする。「井上さん、『福田村』はアカデミー拒否するべきでした。結局、権威になびいてんじゃないですか。なんのために独立映画やってんすか? だせーすよ」と送る。夜、渋谷。夏目大一朗監督『獣手』の初日舞台挨拶のためユーロスペースへ。川瀬陽太さんにアカデミー賞の一件を話す。収まらねえ。ライターの石井さんや撮影の石ちゃんとも久しぶりに会った。石井さんからアンソニー・ウォンさんの話を聞いて感心する。石ちゃんは撮影時とは違うかっこで、えらい可愛い子がいるなあと思っていたら石ちゃんだった。登壇後、飲み屋で一杯だけ乾杯して帰る。移動先で映画おじさんに「マツーラさんはもう自主映画なんか出ないと思ってましたよー」と言われる。「は? どういう意味っすか」「や、商業映画や朝ドラ出てるからもうやらないかって」「いやいや、俺は自主映画やピンク映画の出身で、別に商業映画や朝ドラに出るために役者やってねーから。テメエがやりたい作品やってるだけで、商業が偉いとか自主映画が劣るとか思ってやってねーから」と噛み付いてしまう。他人にどう思われようと関係ねえけど、面と向かって言われたら言い返しちゃうよな。「売れる事」とか「露出がある事」を目標に俳優部やってるヤツだけじゃねえんですわ。
某日、午前中から倅とカミさんがお出かけ。メダルゲームをやりに行くらしい。アタシはイラストに取り組む。プロじゃないので好き勝手に描くことは出来るのだが、「こういうイラストで」って指定を受けた途端に描きにくくなる。やっぱダメなんだなあ。自分でも集中力が続かないのがわかる。仕方ないので最上川遠征の準備。今夜から山形県は白鷹町の最上川で、小判探しの遠征に行く。1830年に小判を運搬中の飛脚が荒れた川に転落し、溺死。1963年に荒砥鉄橋付近で川遊びをしていた小学生が小判を発見。騒動となり72両分の小判や二分金・多くの二朱銀が発見された。当時回収された通貨は保管されていて、今回の遠征で見せてもらえることになった。明日から発見場所近くの岸を金属探知機で捜索しようって魂胆なり。これは連載している「あるとしか言えない。かもしれない」の取材兼実地調査。初の実地調査なので、小判発見の期待をしているのだ。午後、倅を連れて実家へ。最上川遠征で必要な道具を積み込む。車は親父のエスティマを借りた。古い車だがわざわざ新品のスタッドレスタイヤを装着してくれた。ありがてえ。極寒地での行動なので焚き火が必要だろうと、うちにあった焚き火台を使ってみる。倅がマシュマロを焼く。使い勝手が良く役に立ちそうだ。夜7時頃、今回は動画撮影を担当する嶺豪一くんが実家に来て、飯を食ってから出発。しかしカーナビがあまりに古く、あんまり使えなそうな事が発覚。仕方ねえか。まずは調布の生田目くん宅でみんなと合流し、金属探知機やウェーダーを積み込んで出発する。カメラマンの行竹くん・編集長の上田くんも集まり、さあ出発って時に生田目くんの仕事が詰まっている事が発覚し、今回の遠征メンバーから外すことになる。とりあえず運転はごーいち。アタシが助手席に乗って東北道をひた走る。幸いなことに雪予報もなく、夜間で車も流れていて順調な滑り出し。蓮田付近で事故渋滞があり、渋滞を抜けたところでサービスエリアに入ったら、ごーいちが勘違いして高速を降りてしまう。なんだかなあ。しばらく一般道を走って再び東北道に乗る。福島から国道13号に乗って米沢を目指すのだが、国道に入った途端、路肩に雪が積もっていた。ごーいちと「雪っすねえ」「あんまスピード出すなよ」「親父さんが言ってたスノーモードって使ったほうがいいすか?」「まだいらねえんじゃねえか」なんて話しつつ進む。トンネルを抜けると雪が舞っていて、路面も凍っていたのでスノーモードを使ってみる。「どう?スノーモードなんか違うの?」「いやー、わかんないっす」なんだよ、気休めか?エスティマは2躯なので路面に雪があったら使えって親父が言ってたのになあ。米沢市内に入ると路肩の雪の量も飛躍的に増えていた。さすが山形。ガソリンがだいぶ減ったので補給。コンビニに寄ってこの後の行動を決める会議。アタシは隊長として仮眠が取れる施設で寝て、朝から調査を考えていたのだが、上田くんが「予定していた温泉施設の開店が6時からなんですよ」なんて言う。おいおい、開店までまだ3、4時間あるじゃねえか。行竹くんが「え? どうすんのマツーラさん」と隊長であるアタシを煽ってくる。えー? アタシに言われてもなあ。しかしここで軟弱な態度をみせたら舐められてしまう。隊長判断で「とりあえず現地に行ってそれから考える」と宣言。アイスバーンでおっかない山道を白鷹町まで1時間進む。白鷹町に入ると霧が凄く、真っ白で視界がきかない。これって『ミスト』みたいじゃねえか。おっかないのでごーいちにゆっくり進むように言う。川沿いを走っているのだがガスで何も見えない。一応、白鷹大橋まで進むが真っ白でなんも見えない。川の状態は確認できず。しかも気温がマイナス6度。寒くて車外に出る気にもならない。ここで再び隊長命令。「最寄りのコンビニに停車し、仮眠。明け方から調査を開始する」ごーいちと行竹くんから「え? 結局、車中泊かよ」って目線を受けたが無視する。金庫番の上田くんは「これで宿泊代が浮いたわ」とニヤニヤしていた。
某日、最上川飛脚小判調査2日目。オンボロエスティマちゃんのヒーターをガンガンにかけていたので寒くはなかったが、7時に起床する。昨夜のガスは嘘のように晴れていて、雪に覆われた風景が視界に広がっていた。まずは発見現場近くの白鷹大橋に向かう。初めて最上川を見たが、想像以上に大きくて流れが早い。そして寒そうだ。橋の上に設置された温度計はマイナス5度。現場付近に車を止めて、堤防まで向かう。雪の上には様々な動物の足跡があって興奮した。いよいよ金属探知機を組み立て、説明書を読んで測定器の設定をする。お袋から借りてきた4グラムの純金を使って、実際に探知機で探してみる。設定が悪いのかなかなか反応せず。感度を上げると細かい空き缶のカケラや金属片にも反応してしまい、設定が難しい。細かい設定に時間をかけるのがまどろっこしいので、ウェーダーを穿き込み探知機片手に川岸に出発する。雪と薮でなかなか険しかったが、ようやく最上川にたどり着く。モウモウと湯気を上げて流れる最上川は、近くで見たらより一層流れの速さを感じる。しかも水流が多い。冬って水流が少ないんじゃないのかよ?後ろからは写真を撮る行竹隊員、動画のハンディーカムを回すごーいち隊員、スコップを抱えてきた上田隊員がアタシを見つめている。「あれ? 隊長、川入らないんすか?」と、呑気に行竹隊員が言うので、仕方なく川に踏み入れる。この川底は泥と砂で沼のようになっていて、いきなり足が埋まっていく。2歩目を踏み出すと両足とも太腿近くまで埋まってしまった。ウェーダー越しでも川の水が冷たい。川も結構濁っていてちょっと深くなると底が見えないのだ。探知機を振っては見たものの、足がどんどん埋まってしまうので「ダメだ! 動けなくなる!」と川口浩探検隊のように大声をあげて足を抜く。寒くて足の筋肉がこわばってしまう。こりゃあ川に入っての捜索はできねえぞ。わざわざ山形まで来たのに、捜索開始から2分で気付いてしまった。川の流れが早くその上すぐに川底が切り込んでいて深くなる。河岸は砂泥で動きが取れない。さらに水温が低すぎて、川に浸かって捜索するのはキツイ。しかし、隊員達は「嘘でしょ? 今ので終わりなの?」って顔をしている。実際川に入ればわかるのに、なんで俺しか入らないんだよ! 上田隊員が「あ、マツーラさん、写真欲しいんであと2メーターくらい川に入ってください」と冷酷に言う。頑張って3歩目を踏み出すがすぐに足が埋まるし、その先はさらに深くなっていてとても入れない。「これ以上無理だ!」と怒鳴ると、行竹隊員が渋々何度かシャッターを切る。砂泥に埋まった足をなんとか引き抜き、必死で岸に上がる。なんだか岸の上にいる隊員達はドッチラケた空気を出していたが、「これ、足埋まるし冷たくて無理だぜ」と言い訳する。上田隊員と行竹隊員がカメラモニターを見ながら小声で話している。ごーいち隊員が川に1歩入るが、砂泥に埋まる足に驚いて「あ、これやばいっすね」と言ってすぐに戻った。な! やってみりゃわかるんだよ。第一現場は白鷹大橋の麓の川下・鮎貝側の岸。そのまま探知機が振れそうな場所を探して、川下に移動するが、移動すら藪漕ぎなので難儀だ。「態勢を立て直し、移動する!」と隊長命令を下し一度、エスティマまで戻る。行竹隊員が「全然探知機を使ってないっすね」と痛い一言を放った。コイツはエラく反抗的だな! 隊長はちょっとムカつきながら、金属探知機の調整をして第2現場の捜索準備をする。第2現場は鮎貝側の岸の荒砥鉄橋と白鷹大橋の間。ここは重要ポイントだったのだが、護岸工事で作業員がクレーンで作業していた。我々捜索隊は極秘裏に動いているので、不審がられて通報されても面倒なので退散する。寒いし雪に慣れない行軍なので、隊員からも不穏な空気を感じる。ここは早々に命令を下さないと反乱が起きるかもしれない。「ここの捜索は打ち切り、車で川下に移動。小判が流れた可能性のある川下部分の捜索に切り替える!」と宣言し、車で移動。川沿いの道を下って、高岡を超え、山道に入る。『この先冬季行き止まり』の看板を目にするがそのまま進んで、なんとか車を停められそうなスペースで停車。隊長はここで決めないと隊員の信用を失うので、何としても結果を出さねばならない。車を止めた場所から川までは、崖を下らなければならないのだが、ココで臆したらいかん。隊長は腹を決めて探知機を抱え駈け下る。雪に足を取られてこけそうになったがなんとか堪えた。川までの藪地で探知機を振ってみると、ピーピー反応音が鳴った!「ごーいち! スコップ!」と呼ぶが、崖上から眺めている隊員達はなかなか降りてこない。ここでイラつくと器がちいせえのがバレちゃうので、あえて「急ぐなよ! こけたら怪我するから!」と注意する。これで隊員思いの隊長像を植え付けられたはずだ。しかし行竹隊員とごーいち隊員は、難なくヒョイヒョイ降りて来てしまい悔しかった。反応ポイントをごーいちに掘ってもらうと2、3回掘ったところで空き缶が出てきた。昔の缶ビールで分離式のプルタブ缶。なんだよ! ゴミか! と思ったが、探知機が反応して実際掘った感動がある。面白い。単純に宝探しの様で面白いのだ! 川付近のジャリ地や砂泥地で探知機を振ると、バンバン反応が出た。ピーピー鳴る度にドキドキしてテンションが上がる。反応ポイントでスコップを入れる瞬間がイイのだ。しかし結果は、空き缶や瓶のキャップ、散弾銃の薬莢やアルミの袋。おいおい、こんな僻地にゴミを捨てるんじゃねえよ。しかし探知機は信用に足る働きをしてくれたし、アタシは先陣を切って動いていたので隊員達も見直していたんじゃねえだろうか。第3現場である黒滝橋と太平橋の中間地の高岡側捜索は、小判発見には至らなかったものの手応えのある捜索だった。ここで昼飯時になり、上田隊員に飯屋検索を頼む。しかし山の中という立地条件もあり、電波がなかなか入らない。仕方ないので昼飯用の観光資料及び飛脚小判の資料を探すために、白鷹町役場へ向かう。何度もいうがオンボロエスティマに乗った所沢ナンバーのアタシ達はただでさえ目立ってしまう。隊員に「目立つような行動は控えろ」と厳命せしも、いきなりウェーダーを着たままのごーいち隊員が「ちょっとうんこしてきます」と走って役場の中へ行ってしまった。おい! せめてウェーダーは脱げ! こんな厳寒期に川に入るやつなんかいねえだろ! 上田隊員は「マツーラさん、学芸員の方が送ってくれた資料ってみました?」と言う。「や、ファイルが開けなかったってメールしたじゃん。見てないよ」「あ、じゃあ資料を出さなきゃ」「え? 上田くん見てないの?」「ええ、僕は忙しいので。マツーラさんが見てると思いました」なんだよ! 送られた資料も確認してないじゃん! 行竹隊員は話している我々を尻目に、勝手に役場の写真をパシャパシャやっている。目立つなって言ってんだろ! どうしょもねえな。アタシは同族意識を狙ってわざと訛りながら、役場の観光課で蕎麦がオススメだという情報を聞き込み、図書館に潜入し何気なく図書係の方に小判の聞き込みをする。「昔、最上川の荒砥鉄橋付近で小判が発見されたって聞いたんですけど、その資料ってありますか?」「え? 川で小判が見つかったんですか?」若い係員の方は驚きながら聞き返してきた。ん? 地元じゃ有名なんじゃないの? アタシの姿に不審がって近付いてきた先輩係員が、ようやく「ああ、だいぶ昔にそんな話があったみたいですね」「あ、じゃあ実際に発見の話を聞いたり、知り合いが発見者だったりはしないですか?」「私も昔、この町史を読んでいて一部にそんな記述があったので知っただけなんですよ。もう60年前の話ですから」ええ!飛脚小判って全然知名度ないじゃん。白鷹町行ったらみんな知ってるかと思ってた。なんなら発見者なんてすぐに見つかると思ってたわ。でもそうか。発見が1963年だし、飛脚が溺死したのが1830年だもんな。アタシは係員から預かった白鷹村の分厚い「町史」をめくって、記述部分を調べ始めた。ウェーダーをずり上げながら「危なかったすよー 服脱ぐのが大変で」とヘラヘラしているごーいち隊員と、勝手に写真を撮って不審がられている行竹隊員に「白鷹村郷土史」に飛脚小判の記述を探させる。上田隊員にも手伝って欲しいのだが、ワイファイを探してウロウロしているので諦める。しかし、揃いも揃ってポンコツだな! 係員の方も、学芸員に電話してくれたり小判の記述がありそうな本を持ってきてくれたり大いに手伝ってくれた。しかし、「町史」にも「郷土史」にも飛脚小判の記述はほんのわずかだけ。意外だな。資料をコピーしてもらっていると、上田隊員が「マツーラさん、これ」と、学芸員さんが送ってくれた資料を見せてくれる。当時の発見場所を含む、詳細な資料が添付されていたのだ。「ばかやろー! ここに全部書いてあるじゃねえか!」さっそくコンビニに移動して出力しよう、と急いでいたら先輩図書係員さんが「そういえば昔、つぶて石の近くで小判を見つけたって聞いたことがあったような」と教えてくれた。ありがとう! 重要な情報もゲットしたな。腹が減ってきたのでオススメされた蕎麦屋「熊屋」へ行く。頑固そうなオッサンが1人で切り盛りしている傾いたお店で入ると「何人?」と聞かれただけ。座敷に座ってメニューを探すが何もない。壁に貼られた手書きの紙に「もりそば」「追加そば」「ビール」と書かれていた。どうやらメニューはこれだけらしい。我々は今後の捜索ポイントを話し合う。「おまたせ」とおっさんが蕎麦を持ってきたのでさっそくパクつく。美味えなあ。十割そばでコシもしっかりしていて風味が強い。すぐに追加そばを4人分頼む。箸休めにおっさんが持ってきてくれたりんごの漬物みたいなやつが、メチャクチャ甘くて美味かった。蕎麦を堪能した一同は、第4捜索現場へ。先ほど係員の方から聞いたつぶて石を目標とする。ここは川も浅く、足場が砂の岩盤で沈むこともない。生田目くんが用意してくれたタコメガネを使用して、探知機を振る。岩盤の割れ目を探っていたら反応があり、期待したのだが鉄筋だった。腕からも水が染み込み、冷たくて難儀した。川に入って捜索しているアタシは楽しくて時間を気にしないのだが、岸で待つ行竹隊員が「マツーラさん、そろそろ移動しましょう」と言うので仕方なく川から上がる。つーか、それを決めるのは俺の仕事なのになあ。いつの間にか行竹隊員が仕切っている。学芸員の方が添付してくれた発見現場は、アタシが事前に調査した場所の近くだったが、荒砥鉄橋の上流200メートルの荒砥側だった。第5捜索ポイントは発見場所だ! オンボロエスティマを「畔藤排水機場」まで突っ込み停車、道具を抱えて堤防を越える。おお、ここか! 早速川まで行くが、探知機を振ろうとして気がついた。あれ? ここ、護岸工事されちゃってる、、、。大石がたくさん入ったネットが、発見場所付近の川岸に積み上げられてしまっているのだ。えー! これじゃあ探知機の意味がないじゃん。何か手がかりや痕跡がないか藪を漕いで探すものの、特に手がかりはない。何度も書くが小判を発見したのが今から61年前。飛脚が溺死したのが194年前だもん。そもそも最上川の地形も変わっているだろうしな。だいぶ気温も下がり風が出てきた。アタシだけが現場をウロウロして「ギャー! チクショー! ゴミを捨てるな!」って叫びながら探知機を振り回していて、隊員達は捜索に加わろうともしない。仕方ないので「本日は捜索終了! ホテルに帰って明日の朝から引き続き捜索をする!」と宣言した。上田隊員が、車の中で繋がらないケータイを駆使してホテルの予約を取ろうとしている。とりあえず白鷹町では宿泊施設が高いので、米沢市内まで引き返すことになった。市内へ向かう道中、もちろん雪は積もっているのだが地元の車は結構スピードを出している。慣れってすげえな。市内のホテルに到着し、2人部屋にマツーラ隊長・ごーいち隊員と、上田隊員・行竹隊員のペヤに分かれてチェックイン。使用した道具類を洗うため大荷物を抱えて部屋に入ると、ベッドは1つで2人が寝るダブルのお部屋でした。一瞬、戸惑ったがごーいちとなら仕方ない。「俺、いぼ痔だから優しくしてね」と言っておく。「え? え? や、俺が挿す方っすか? や、俺、床で寝ますから」「いいよ、これも思い出だから。一緒に寝よう」すると、行竹隊員から電話。「マツーラさん、部屋おかしくないっすか?」「や、別におかしくないよ」「え? ベッドひとつじゃありませんか?」「うん、ひとつだけど」「じゃあ、部屋出てフロント来てください!」なんだか妙に慌ててやがるな。仕方なく再び大荷物を抱えてフロントに行くと行竹隊員が怒っている。「ダブルルームなんてありえないっすよね!」「え? そうなの? 別に俺らはいいよな?」とごーいち隊員を見たら「やー、俺は、まあ、はい。お任せします」上田隊員がフロントで交渉しツインの部屋に交換となった。追加料金を取られた上田隊員が誰に言うでもなく「まー、ね。仕方ないですよ」と呟いて下唇を強く噛んでいた。部屋でウェーダーやタコメガネ、探知機を洗い、一服。上田くんから「温泉行きませんか?」とお誘いがあったので、ごーいち隊員と部屋を出る。行竹隊員の姿がないので尋ねると「あ、温泉は行かないそうです」つまりダブルルームショックから立ち直れていないのかもしらん。3人で「平安の湯」という温泉で冷え切った体を温める。気持ちよかったなあ。夜食はオカンムリだった行竹隊員も合流し、ホテル近くの韓国料理屋「鶏の宮」で韓国料理を堪能した。おかみさんは来日17年のソウル出身。山形弁を駆使していて喋り方が可愛かった。料理もメチャ辛で美味かった。アタシは早々に部屋に戻って、本日手に入れた資料を精読する。手元には4つの資料があるのだが、その全てに共通して書かれていたある事に気付いてしまった。4つの資料共に、表現の差はあれど「川底から小判を見つけた」という事が書かれていた。川底から? じゃあ、いくら岸で探知機をかけても見つからなくないですか? つまり、「川に入って潜って川底を探す」のが正しい捜索方法で、アタシが今やっている「岸と足の届く範囲の水中で探知機を振る」ってのは無駄な捜索なんじゃないですか? ゾッとしてしまう。ああ、レジェンド・トレジャーハンターの八重野充弘さんが言っていた「土を掘るより資料を掘れ」という意味がまさにいま、理解できた。帰って来た3人の隊員に、資料の事実を告げる。上田隊員「えっと、明日6時からの捜索ってどうします?」「やるよ。可能性は0じゃないからさ」すると行竹隊員が「早すぎないっすか? 可能性低いんでしょ?」アタシが答えに詰まっていると上田隊員が「じゃあ、7時にしますか。1時間下げましょう」と言うので手を打った。
某日、最上川飛脚小判調査3日目。6時40分に起床し部屋を出る。雪が降っていて移動が心配だったが、白鷹町に着く頃にはやんでいた。朝から予定していた小判発見ポイントの対岸(鮎貝側)の小石原をしらみつぶしに探知機をかける。やっぱり朝は寒い。しかし昨日よりは風も弱いし気温もマイナス2度だった。完全防寒フル装備の我々は、動いていると汗ばむくらいだ。なるだけ現場に近い場所に車を止めて、雪の中を藪漕ぎ。近くで白鳥が休憩していたのだが、アタシが近付いたため飛び立ってしまった。アタシは昨日の新事実発覚の落ち度があるのであえてテンションを高めに一行を引っ張る。河原で探知機を振るとバンバン反応がある。今日は上田隊員が剣スコで掘り出し係。反応があったところでスコップを入れる瞬間が楽しい。昨日掘り出し係だったごーいち隊員が「この、出てくる瞬間が楽しいですよね」「これ、掘るの緊張しますねー」なんてキャッキャしながらやっているので、隊長としても嬉しい。しかし出てくるものは、空き缶やハンドクリームのチューブ、キャップなどのゴミばかり。マジ、ゴミ捨てるなよ! 持ち帰ってくれよ! あたしゃ恥ずかしいよ。9時半に捜索を切り上げて、町役場へ向かう。本日は役場で実際に発見された小判を見せてもらえるのだ。一般公開はしていないのだが、雑誌パワーで特別に拝見させてもらえることになったのだ。すごい! 町で保管している文政小判23枚、文政真文二分金9枚、文政南鐐二朱銀358枚。もちろんアタシは小判なんか見たことない。楽しみだな。教育委員会の関さんに会いに行く。挨拶するも、この集団にイマイチ合点が行かないようだ。そりゃそうだよな。怪しさ満点の集団だもんな。しかし、上田くんが「2nd」誌を見せて一生懸命説明し、小判の保管場所まで連れて行ってもらう。某所にて厳重なセキュリティーの元って書きたかったんだけど、こっちが驚くくらい普通だった。や、何が普通かって言いにくいんだけど、ボディーチェックを受けて警備員とかが立ち会って金庫室みたいなところに連れていかれるかと思っていたのだが、よくある会議室で小型のロッカーから資料館の館長さんが素手で引き出してくれた。白手袋が用意されていたので「手袋しなくていいんですか?」って聞いたら「だって流通してた通貨だよ? いらないよ」なんてワイルドに扱っている。立会いも関さんと館長さんだけで、こっちが心配になってしまう。初めて見る小判はやっぱり山吹色に輝いていて、ありがたみがある。恐る恐る「持ってみてもいいですか?」と聞いたら「通貨なんだから。触ってみなよ」と言ってくれる。手にすると想像よりも薄くてでも、見た目よりしっかりと重量がある。うー、これが小判か。ほちいなあ! 二部金も、二朱銀も持たせてもらったが、金はくすんだり変色はしないんだな。これなら川底にあっても分かりやすそうだ。ただ、二朱銀の方は黒ずんだり錆色になっていたりして、川底にあったら見つけにくそう。関さんも小判を持って「30年ぶりに持ちましたよ」なんて感慨深そうにしていた。「これで当時見つかった小判は全部なんですよね?」と何気なく質問したら「いやあ、持ってった人もいるでしょ」と館長さんが事もなげに言う。「提出しなかった人もいるんですか?」「そりゃポッポしちゃった人もいるでしょう。当たり前だよ」え! そうなんですか?! アタシャ、みんなが提出したかと思ってた。じゃあ80両のうち、ほぼ全額回収されている可能性が高いのか。なら、捜索なんかしても発見の可能性は極めて低いじゃん。なんて考えていたら、アタシだけが触って感想を書けばいいのにどさくさに紛れて隊員がみんな触っていて驚いた。こんな素性の悪い奴らに触らせちゃいけませんぜ! って言おうとしたが、よく考えたらテメエが一番素行が悪いので黙っていた。モノホンを実際に見て、「俺も見つけたい!」という思いがますます強くなった。関さん、館長さん、特別に見せていただきありがとうございました! で、皆さんにお礼を申し上げて帰ろうとしたら、関さんが「発見者のこの高橋さんって知り合いなんだけど、今日いるかなあ?」と、資料にある「埋蔵文化財発見者報奨金領収書」のリストの一番上に記載された高橋昌弘さんの名前を指しながら言うのです。「え? 発見者の方が関さんの知り合いなんですか?」「うん、うちの近所なんだよ高橋さん。話聞きたいでしょ?」アタシが返事をする前に、関さんは高橋さんに電話をし始めた。もちろんお話を聞きたいが、まさか今の今、急に連絡して会えるわけないでしょう。電話を切った関さんの顔があまり明るくなかったので「だめですよね?」と聞いたら「15分後に役場に来てくれるって」さも当然そうに言う。マジッすか! アザっす! すげえなこの流れ。アタシたちは何も準備していないのに、勝手に事が流れて行く。こう言う場合は流れに身を任せるのが一番なのだ。関さんと役場に移動して高橋さんを待つ。すると「高橋木工所」と書かれた軽トラから、小判の発見者・高橋昌弘さんが現れたのだ。御年85歳だそうだが、小柄な体からは生気が溢れギンギンに溢れ親方臭をまとっている。我々を見て不思議そうに「どしたの?」と言う高橋さんはきっちり人の目を見て観察している。アタシが事のあらましを話して、当時のお話を聞かせて欲しい旨を伝えると「じゃあ、最初っから話さなきゃなあ」と、姿勢を正した。「ありゃ、土用の丑の日だったんだよ。みんなでウナギでも突きに行くかって、同級生とヤス持ってサ。鉄橋の近くの最上川に行ったんだ。俺んちはその頃、鉄橋の麓にあってよ」と、とうとうと話し出した。お? 高橋の親方、なんだか話し慣れてんな。「川行ったら何人か小学生3人くらいいてヨ、小判見つけたなんて言ってんだよ。そんなことなかんべえってその小判見せてもらって、曲げたりヤスで削ってみたりしたんだわ」「小判って曲がるんですか?」「おお、やわらけえ。ヤスで削ったらすぐ削れるしヨ。これはホンモンだて。だから保管してる小判の中に、オラが傷付けた跡が残ってんのがあるはずだよ」「で、うち戻って砂利すくうためにスコップと金網取り行ってよ、この辺でアマ壁ってんだけど、柔らかい岩盤があってそこの窪みに砂利溜まってんだ。そこにあったんだ。スコップも使えなくてみんな手で掘ったんだ。爪がなくなってしまった。」「二朱銀みたいなちっちゃいのはザル使ったんでしょ?」「見たらわかるから、ザル使わなかった」「それから話おっきくなって、夜カンテラつけてやってた人いたよ。三日か四日はみんなやって来て掘ってたよ。そっから大雨でしばらくできなかったんだ」「うちは親父が民生委員やってたから6枚全部出したけど、他の人がみんな出したかわかんない。24枚小判出たもんな」「町には23枚だね」「そうか、小判は24枚は見つかってんだよ」「見つけた場所さ行ってみっか?」で、関さんと高橋さんを先頭に発見地の場所まで行くことに。ここは昨日、我が捜索隊も行っているのだが、実際に高橋さんの記憶と照らし合わせて正しい場所か確認できるのはありがたい。高橋さんが堤防の上から最上川を眺める。「だいぶ変わってるからなあ」と呟いていたが「この辺だよ」と指差したのは荒砥鉄橋から200メートルくらい上流だった。資料では鉄橋から400メートル上流部となっていたが「この川底に大石があるんだ。だからこの辺から30メーターくらいに小判があったんだわ」と明確に思い出してくれた。関さんも実地で話を聞いたのは初めてらしく「記録より手前なんだな」と新事実に感心していた。「この川底が柔らかい岩盤になっててサ、くぼみに砂利が溜まってんだけど、その砂利をすくって集めたんだよ」「うん、だいぶ流れが変わったけどこの辺だなあ」と高橋さんの証言。さらに上流部を指差し「そこの曲がりがあるでしょ。あそこにお地蔵さんがあったんだわ。小判が見つかる前に、そこのお地蔵さんが流されて一文銭とかたくさん古銭が出てきたらしい。砂利すくいしてた人が見つけたんだってさ」「でもさ、飛脚が小判落としたからって拾わないわけないでしょ? 水が少ない時期に拾えばいいんだから」「まあそうですよね。大金だし回収しなかったんですかね?」「小学生が見つけられるんだから。昔の人だって拾えたでしょう。だからよ、そのお地蔵さんのとこに埋まってた千両箱かなんかが流れたんじゃねえかって噂もあったんだよ」「飛脚小判がですか?」「そう。噂だよ。小判って川の流れじゃ流れねえんだよ。流れが早いとこで小判を落としても、まっすぐ足元に落ちんだから」「重いからですかね?」「川の流れじゃ動かねえよ。でもなんで30メーターに渡って小判が散ってたかだよ」「大水なんかで動いたんじゃないですか?」「千両箱が流されてコロコロしてるうちに小判が出たのかもしれねえって話もあったんだわ」「じゃあ、発見された小判って飛脚が落としたものじゃない可能性もあるんですか?」「噂だよ。でも当時そんな話もあったんだ」発見当時に出たお地蔵さん埋蔵金説。高橋さんは何気なく話してくれたが、どうなのだろうか。町に保管された小判23枚で23両、二部金9枚で4両2分、二朱銀358枚で44両1分2朱。合計71両3分2朱。提出しなかった方もいるし、80両のうちほぼ全額回収されていてもおかしくない。でも、これが飛脚小判ではなくお地蔵さんの埋蔵金だとしたら、まだあるとしか言えないんじゃないか? 「高橋さんはまだこの辺に小判があると思いますか?」「探してみ。まだあるだろ」高橋さんの顔はいたずらそうにも見えるし、本心からそう言っている様にも見えた。でも、だからこそ探してみたくなる。上田隊員が「じゃあ、夏も来なきゃですね」と呟いたのを聞いて、再捜索の決心をしたのだった。まだ帰京まで時間はあったが、最上川の冬季調査はこれで終了し、地元のスーパー「オーバン」で(ごーいち隊員がこのスーパーの名前も飛脚小判と関係あるんじゃねえかって疑っていたが、アタシは関係ないと思う)お土産を購入して帰京した。
某日、無職渡世。倅が風邪ッピキで学校を休む。喉が痛いらしい。学校でも学級閉鎖になっている学年もあり、風邪が流行っているのだろう。午前中は倅を小児科に連れて行く。1時間近く待ったが、診察は5分で終わった。熱もないしインフルエンザやコロナの検査はせず。倅が「注射と鼻に突っ込む検査しなくてよかった」と心底ホッとしていた。帰ってから、早速昨日までの取材をまとめたかったのだが、倅がいるとどうしても集中できないし、結局一緒に寝ながら本を読んでいるうちに、アタシだけが寝てしまう。カミさんが「マジで使えねえな、てめえだけ川遊びして寝てんじゃねえよ」と怒っていた。小判の捜索が川遊びか。取材だって言い訳したら「じゃあギャラいくらもらってんだよ!」と詰められてしまい藪蛇だった。夕方、北千住へ。森達也さんと漫画家の石坂啓さんと大衆居酒屋「氷見」で飲む。まずは森さんに日本アカデミー監督賞受賞のお祝いを言うと「マツ、俺は一度断ったんだよ」やっぱりそうだよなあ。森さんはわかってるわ。んで、『福田村事件』のアカデミー賞について持論を話す。まあ、「映画芸術」であれだけ腐してたんだから脚本賞は辞退するのが筋なんじゃねえかって話。「マツはスナオだなあ」と森さんに笑われる。「でもそういうマツーラくん好きよ」って啓さんに褒められる。その後は白鷹村の小判探しの話。そしたら森さんが「俺も20年くらい前に山形に徳川埋蔵金があるって聞いてドキュメンタリー作ってきたんだよ」と言う。「出ましたか?」「や、出ないよ。元カミさんと2人で行った旅行記になったよ」そして森さんが3月に樋口組の『新幹線大爆破』に俳優として出演する話。「マツ、どうやったらいいかな?」と言うので「森さん、その歯のままで出た方がいいっすよ。歯抜けで何言ってるかわからなく喋ったらいい!」森さんは酔っ払ってこけて、下の前歯と肋骨を折ってしまったらしい。だからその歯抜け面のままやった方がいいとアドバイスした。最初は「そんなことないだろ」と言っていたが、今の俳優は歯なんか抜けるやつ少ないし、歯抜けは俳優としては武器だからそのままやれ! と厳命する。森さんもまんざらじゃない感じで「そうか。このままやろうかな」なんて言っていた。2軒目は森さんが以前行ったディープな飲み屋。店前には映画や美術展のチラシが病的に張り出されていて、レコードが野積みされている。店内も本や雑誌、レコードが積み上がっていて客席なんかない倉庫の様な店。店主の某さんがアーキビストで美術展なんかに収蔵品を提供しているらしい。店内にはアニメのセル画や原画・国芳の本・創刊2号のサンデーやなんだか骨董的価値のありそうなものが無造作に置かれていて、店主の言うがままに見せられるのだ。なかなか癖が強く面白い店で楽しんだが、ひとり5000円を取られて森さんが「高すぎるよ!」と文句を言っていた。アカデミー監督になってもそういう森さんが好きだ。11時まで飲んで解散。啓さんと上野まで一緒に帰ってお喋り。バレンタインデーのプレゼントまでいただいてしまった。啓さん、ありがとうございました!