某日、F組『△』撮影で富山へ。朝からカミさんのご機嫌がすこぶる悪い。どうやらこの『回頭日記』を読んだのが原因。「てめえ、金もねえのにパチンコやってんな嘘つきが!」と怒鳴られるも、こちらは事態が飲み込めず「やってねえよ、そんな金ねえし」「ほら、平気で嘘つく。日記に書いてあったじゃねえか」「ああ、1年前のことでございますか? ロクな事書いてねえんだから読まねえでくれよ」「あんな日記、お母さんとアタシしか読んじゃいねえよ! 執筆なんて偉そうに言いやがって」「おらあパチンコやんねえよ、スロットだし」「そういう事じゃねえんだ、嘘つきが!」朝から怒鳴られっぱなしで最高の気分でうちを出る。参っちゃうな、いつかバレるとは思っていたが、そんな熱心に日記を読むとは想像してなかった。倅も何事かと驚いてたぜ。そもそも小遣いの範疇で2000円打っただけなのに、なんでそんなに怒るかなあ? なんて考えながら券売機で切符を買ったのだが、なぜか行き先を金沢で買ってしまい、書い直すのに手間取る。全く出鼻をくじかれたわ。大宮から新幹線で富山まで。新幹線って本当に速いよな。景色がピューピュー流れていく。流れる景色を見ていると気分も良くなっちゃうよ。レコーダーに吹き込んだ相手のセリフを聞き、自分のセリフをブツブツしながら富山着。富山駅の周りは路面電車が走っていて、しばらくその様を眺めてしまった。路面電車っていいよなあ。10分くらい歩いてホテルに入る。入り時間までまだあったので、美術館でも行こうかと思ったが結局部屋で読書。古今亭志ん生著『志ん生芸談』。18時、支度場入り。ここで思いついたネタを実行すべく、衣装助手の加藤さんに相談する。せっかくまさ江さんが選んでくれたインナーだったが、自前のタンクトップにさせてもらう。「真っ赤なチェリーパンツと真っ黄色なバナナパンツ、どっちがいいかな?」と加藤さんに相談したら「黄色は派手なんでDさんが嫌がると思います」と言うので黄色を履くことにする。天邪鬼なんだよアタシは。メイクのアンジュなんかも「やめといた方がいいですよ」なんて言うので、益々やりたくなっちゃう。アタシがやりてえようにやらせていただきますわ! 一ノ瀬くんや真栄田くんと挨拶して、現場入り。富山駅のど真ん中、繁華街前のバスロータリーの路上で大撮影。撮影部には同期で一緒に自主映画をやっていた大和太くんや、熊ちゃんが助手で付いている。録音部には川俣さんもいる。熊ちゃんに手を振っていたら早速Dさんに「ヘラヘラしてんじゃねえ」なんてかまされてしまう。へへへ、よろしくお願いしますー。監督のFさんから現場の動線の確認をしていただく。Fさん、すごく物腰が柔らかくてわかりやすい。今回は35ミリのフィルム撮影。さっそく1回目のテスト。アタシはシャブの売人役でブツを隠している。商売中に刑事の真栄田くんと一ノ瀬くんに身体検査をされるが「好きなだけ調べろ! なんも出てこなかったら責任取れよ!」と啖呵をきる。だけど隠していたブツが見つかって、というシーン。ここでアタシが思いついちゃった芝居をブッ込んでみる。啖呵をきる前にジャンパーとズボンを脱ぎ捨て、タンクトップとバナナパンツ姿になってセリフを言ってみた。寒空の中パンツ姿で吠えるオッサンは滑稽でいいと思ったのだ。カットがかかるとスタッフの間で笑いが起きる。Dさんもニカっとして何も言わない。ほらー、芝居を真面目にやってりゃ大丈夫なんだよ。ただ、Fさんがすごく言い難そうに「マツーラさん、次は脱がないパターンでも見せてもらえますか?」と言う。すみません! やってみたかっただけなんで、もちろん脱ぐのはやめます! 「あ、でも上着脱ぐのはよかったんで」と取り繕ってくれる。なんて優しい方なんだ。準備中に熊ちゃんが「Dさん、笑ってましたよ」と耳打ちしてくれた。嬉しいじゃないの。アタシもテストでやれたし満足。大和も「ユーヤくん、やっぱブッ込むねえ」なんて光量を計りながら笑っている。フィルム撮影なので何度かテストを重ね、本番に臨む。Fさんは細かく芝居を見ていてくれて、感覚が近い気がした。テスト中、ノイズが走った(嘘ついちゃった)流れの芝居があったのだが、そこをキチンと指摘してくれた。こういう事って大切なんだよな。感覚が全く合わない監督もいるし、合う監督もいる。感覚が合う人同士だとあまり細かく言わなくても分かり合える。あるカットでアタシが芝居しながら動くのだが、どうしてもフィックスのカメラの範囲を超えてしまう。Dさんが「おい、ココからココまでだよ!」と教えてくれたが、次のテストでも越えてしまった。Dさんは「ココまでだって言ってんだろ!」と、地面に養生テープを貼ってくれたのだが、3回目のテストでも収まらなかった。ああ、やっちまった! と思っていたら、イライラしたDさんが「もういい! 手持ち!」と言ってカット割りを変えてくれた。大和が「マツーラくん、ワザとでしょ! Dさんに手持ちでやらせて!」と言われてしまった。一ノ瀬くんや真栄田くんとも初めての芝居だったが、楽しんでやれた。あっという間に撮影は終わってしまい、オールアップ。Fさんから花束までいただき、なんか申し訳なかった。Dさんからは「ほら、さっさと走って帰れ!」と笑いながらドヤされる。帰りがけ、美術の原田満生さんにどうしてもお伝えしたかった事を伝えた。「原田さん、『せかいのおきく』最高でした!」原田さんとは初対面だったが、手を振って応えてくれた。うん、よかった。一旦部屋に戻って、大和と熊ちゃんに「終わったら飲みに行こう」とメールする。明日は撮休なので、今夜は行けるだろう。2人とも「行きたいので終わったら連絡します」と返事がある。今回はフィルム撮影なので、デジタル撮影ではやらない作業も撮影部的にたくさんあるのだ。特にチーフの大和は真面目なのでキッチリ仕事をする。「終わった」と連絡があり、合流したら12時だった。撮影部の大和太くん、熊谷美央こと熊ちゃん、そして松田亘くんの四人で桜木町の繁華街に繰り出す。「ジャッキー屋台村」という中華屋へ落ち着く。ここが深夜まで営業していて飯も美味かった。水餃子なんか餅みたいにもっちりした皮で驚いた。大和とは「フィルム撮影の苦労」を、熊ちゃんとは「俳優部でテスト通り動ける人と動けない人」の話を、ワタルとは「ワタルが偉くなったらとにかく俺にピンを合わせろ」という話をする。カメラの位置を把握して、被りを察知し抜ける技術は斎藤工くんがピカイチらしい。対極的に顔の向きや被りを気にせずやっちゃうのがアタシだそうだ。申し訳ねえなあ。確かに、その瞬間に感じたことをやろうとすると、テストとも動きが変わってくるし結果撮影部さんに迷惑をかけている。アタシは運良く、そういう事を許容してくれる撮影部さんに当たっているから、今まであまり気にしてこなかったなあ。朝4時まで飲んで解散! 楽しかった!
某日、8時起床。ホテルをチェックアウトして帰京。移動読書は古今亭志ん生著『志ん生芸談』を読み終える。作中で志ん生さんが円喬さんに言われた言葉がよかった。「(志ん生さんが弟子入りを頼むと)そいつは悪い了簡だ、素人ならいいが商売人が人真似はいけない。なんたって噺家は自力だ、教えられた芸や、仲間に引き立てられて上がった地位は三文の値打ちもねえ、俺の弟子になろうなんて考えは諦めて、今夜はゆっくりナカ(吉原)でも行って頭を冷やしてきな」って小遣いとタバコをくれたって話。芸事ってなんでもそうだと思う。他人から教わることより自分で思考する事の方が大事だ。たくさん試して失敗して、三年後の肥やしにする。その考えが肝心なんだ。それを諭して小遣いを渡せる大人になりてえなあ。それと志ん生さんのいう『芸』と『商売』の話の違い。これもわかる気がする。芸事って落語だろうが芝居だろうが、共通する思考が多い。だから勉強になる。帰るとカミさんが大掃除中。不味いタイミングで帰ってしまった。仕方ないのでアタシも部屋の掃除をする。夕方、カミさんと倅と三人で中華屋「ぼん天」で夕食。アタシはニンニクチャーハンと坦々麺。美味い。帰りに実家に寄って、F組でいただいた花とお土産を渡す。ジョルジュ・ル・フェーブル著『中央アジア自動車横断』をいただく。夜、明日からの大田原遠征に備えパッキング。日記を書いて寝る。
某日、内装仕事で大田原遠征1日目。本日から大田原市街から車で30分の山の中でキャンプ場の建設で、隔離生活。ここは生活する母屋だけは電気・水道・ガスのライフラインが通ったが(前回の遠征時は水道とガスが開通していなかった)本当の山の中で、ワイファイなんかもちろんないし、隣の家まで山を降りないと人には出会えない僻地。太田さんと2人で乗り込み、各棟の解体工事から始める。日中は暖かいが陽が落ちた途端、急に冷え込みガクブルになる。母屋はカメムシに侵食され、安眠を妨げる。母屋自体は外気温より寒い極寒の建物。唯一の暖は薪ストーブなのだが、2時間ごとにぶっとい薪を突っ込まないと火が消えてしまう。なかなかしんどい生活。飲食店は車で15分くらいの食堂が最寄りで、ここも昼間しか営業していない。現場には洗濯機がないので、コインランドリーを探したのだが全く見つからない。そのかわり精米所は10店くらい発見した。今回の遠征では、米が重要なので実家から10キロくらい頂いてきた。これで飢えの心配はない。ただ、炊飯器がないので毎回メスティンで炊かなくてはいけないのだ。夜は必然的に自炊生活となる、本当のキャンプ生活。夕方、大田原市街まで出て食材を買い込み、鳥鍋を作って食す。美味なり。太田さんは料理が上手い。凝った事をしているわけではないのだが、センスがあるんだろう。風呂はカメムシに侵食されて、排水溝を詰まらせる。仕方ないので排水穴に手を突っ込んで処理。決して気持ちのいい作業ではない。虫が苦手な人は絶対に泊まれないだろうね。汚れついでに汚かったトイレも掃除する。太田さんに「マツは意外に几帳面なんだな」と褒められる。夜、担当マネージャーさんの井上さんから連絡あり。奥野組『冬物語』の舞台登壇と『獣手』の登壇の相談。どちらも可能な限り参加できるよう調整をお願いする。持ち込んだパソコンで日記を書く。寝る前に柳家小三治著『落語家論』を読む。
某日、内装仕事で大田原遠征2日目。朝7時起床。太田さんがパンと目玉焼きを焼いてくれている間に、アタシが薪ストーブを火付けして、コーヒーを引いて落とす。おっさん2人の優雅な朝。相変わらずカメムシが飛び回り、カマドウマが床を跳ねているが。1日経って虫にも慣れ、むしろ可愛く思ってしまう。不思議だね。本日は解体屋の鈴木さんがダンプ2台を入れてくれたので、朝から本畳30枚(これでダンプ1台が満載)、カーテンや洗面台等の残置物を運び出す。午前中は雨が降っていたので、濡れながらの積み込み。一服後、各棟の解体作業を始める。体を動かしていると、濡れた作業着から湯気が上がる。壁を剥がすと、必ず大量のカメムシやバッタが密集して冬眠している。起こすのは気がひけるが、こちらも仕事なので仕方ない。なるべく潰さぬように気を使う。明日から鈴木さんの解体チームも母屋に泊まることになったので、昼休憩時に部屋の掃除と寝具の用意をする。午後は喫茶棟の外壁解体。鈴木さんは虫が苦手らしく、壁を剥がすたびに「うおー」っと叫んでいた。今回の解体内容は、残置物の撤去・各棟のキッチンやトイレの撤去・不要な壁、傷んだ床の解体・既存什器関係の解体などがある。相当量の廃材や不要物が出るので、山にダンプを呼んで山積み。産廃処理してもらう。冷蔵室や違法増築の建物などもあって、予想より解体の仕事量が増えた。3時の休憩時に、倅が大学に入ることが決まった鈴木さんから、入学金や授業料の金額を聞いて絶望する。200万以上かかるらしい。私大だと1年で300万もザラだとか。マジかよ。倅には悪いが、そんな額払えないと思う。夕方4時過ぎると急激に気温が下がって、暗くなるので4時半で作業終了。太田さんは明日朝から東京の現場に行くので、帰京。鈴木さんたちも本日は宿を予約したそうで、このだだっ広い山の中に私ひとり取り残される。母屋のテレビをつけるとちょうど「クマの被害にあった」というニュースが流れていた。あれ、この山ってクマさんはいるのかしら?アタシひとりなので急に怖くなって玄関に置いていたゴミをうちの中にしまって施錠する。クマって電気がついていたら寄ってこないのかな?母屋の電気を全て付けておく。メスティンで米を炊き、ソーセージと野菜炒め、ネギと卵の炒め物を作って食す。美味い。洗い物をして薪ストーブを点火し、シャワーを浴びる。薪がはぜる音が大きく聞こえてビビる。今夜だけは飛び回るカメムシが心強い。本を読んで日記を書いて早めに寝る。
某日、内装仕事で大田原遠征3日目。朝5時に目が覚めた。誰もいないので寝袋の中でモゾモゾしてしばらく過ごす。7時に起き、コーヒーを入れて薪を割る。母屋の掃除をして、今日宿泊する鈴木さんチームの寝床を作る。朝は何も食べず。8時半に鈴木さんの解体チーム4人が現場着。各自分担して5つある建物の部分解体と不要物の撤去。もちろんカメムシやカマドウマ、冬眠中の蛾やショウリョウバッタ等の多種多様の昆虫が出てくる。向こうにとっちゃいい迷惑だろうな。昼飯は母屋で米を炊いて納豆ご飯。夕方、残置物の中から2升炊きの炊飯器を発見セリ。これで心配事項であった今夜の炊飯問題を解決。メスティンだと3合までしか炊けなくて困っていたのだ。ついでに小型七輪「飛騨こんろ」を見つけたので個人的にいただく。炭さえあれば焼き物ができるな。夜は母屋に現場に戻った太田さんと鈴木さんの解体チーム4人とアタシのオッサンだけが6人で宴会。肉を焼いて酒を飲む。カメムシも喜んでブンブン飛び回っていた。解体チームは世間的には一癖あるような人だろうが、いい人たちだ。中でも前歯がない元ホストの若者がいいキャラしていた。10時近くまで飲んで倒れるように寝る。残った太田さんと後片付けをして、ふとゴミの問題に気付き相談。可燃ゴミの処理をどうするか問題。アタシは野焼きするか埋めちまえばいいと思ったのだが、極めてまともな太田さんはクリーンセンターに持ち込む案を提示。結局太田案に落ち着く。親父からメール。じいちゃんが39・7度の発熱で、多摩北に搬送されたらしい。原因はまだわからないので入院だそう。92歳だし、心配。今夜は流れ星が見えるとニュースで言っていたが見られなかった。夜、阪口克著『家をセルフビルドしたい』を読む。
某日、7時起床。朝から1升2合の米を炊いて、皆で朝飯。肉体労働者の集まりなので朝からしっかりメシを食う。「コメが仕事をする」と言ったもんだが、メシを食わないと力が出ない。本日はさらに解体チームのダンプが1台応援に来る。新メンバーも到着。カメルーン人のサムという極めてマジメなでかい若者もきた。カメルーン人や元ホストや元ヤンチャ、元国営施設に入ってたヒトなど、様々な経歴を持った奴らの集まりだが、基本的にみないいヒトだし、仕事はマジメにやるのだ。ただ、一服時のバカ話がぶっ飛んでいて面白い。●●の炙り方のイロハなんてなかなか聞けないもんな。今日であらかた解体のメドをつけるため、朝からバタバタやる。アタシは各棟の掃除と最終撤去をやる。結構細かい残置物(カーテンレールや照明、据え付けられた洗面台)などがあって、撤去する。昼も皆で炊き出しメシ。太田さんがまかなってくれた。太田さんは寮母さんみたいだ。午後3時まででメドがついたので、帰りに鈴木さんに西那須野駅まで送ってもらう。ここから三鷹へ。移動読書で阪口克著『家をセルフビルドしたい』読み終わる。三鷹芸術劇場で城山羊の会『萎れた花の弁明』を観劇。三鷹に着いたのが6時40分。7時開演だったので劇場まで走る。内装道具を抱えたまま大荷物だったから大変だった。席も最前列しか空いておらず、出演者に悪いなと思ったが仕方ねえ。岩谷健司さんや岡部たかしさんは言わずもがな、岡部ひろきくん、原田麻由さんが抜群だった。石黒麻衣さんもよかったなあ。終演後、奥野俊作さんや滝沢恵さんとお会いする。みんな城山羊の会はチェックしてんだな。安藤聖さんや岩谷さん、岡部さん、ひろきとおでん屋さんで飲む。岩谷さんや岡部さんとももう20年近くの付き合い。久しぶりに飲んだが、全く気を使わない関係だし、昔のバカ話や今日のトチリ(岩谷さんがセリフを飛ばして、ひろきが助けた)の話をいじって盛り上がる。初めてアタシが舞台をやった時の共演が岡部さんで、全く演劇を知らなかったアタシに色々教えてくれた。その舞台に照明助手で手伝いに来てくれた岩谷さんとは、初対面の時にだいぶバチバチしたのだが、すぐに仲良くなって以来可愛がってもらっている。岩谷さんからは色々と影響を受けて、解体仕事をやり始めたのも岩谷さんがきっかけ。それからずーっと岩谷さんと肉体労働に従事した。当時、某先輩が台本に役の事をビッシリ書き込んでいたのを見て「ああ、役者はこういう作業をするのか」と、その真似をして台本に書き込みをしていたのだが、アタシの書き込みがある台本を岩谷さんにみつかって「だっせーな、書き込みなんかしちゃって! やってる気になっちゃって。役者っぽいなあ。それで芝居が変わる? 何度も読むのに、書き込みしたらその考えに囚われちゃうじゃん」と言われた。岩谷さんの言う事がホントその通りだったので、すげえ恥ずかしくなって、アタシはそれ以来、台本に全く書き込みをしなくなった。その上、書き込みされた台本や自分のセリフの所にマーカーでラインを引いた台本を見ると、「だっせーなあ」と思うようになった。岩谷さんからは「芝居で食うことの価値観」や「芝居の深度」、「面白いとはどういうことか」など、芝居観の根っこの重要な部分を色々教えてもらったし、その価値観が今のアタシの価値観が出来上がる上で、土台となったのだ。「演劇」と「映画」、お互い重きを置くフィールドは違えど俳優としての思考作業は共通していると思う。でも、そんな事は1ミリも恩着せがましく言わないし、飲みの場でバカ話に始終する岩谷さんと岡部さんが大好きだ。終電近くまで飲ませてもらって、金を出そうとしたら「いらねえよ貧乏人」と言ってくれたので、いつものごとくご馳走になる。岩谷さんも岡部さんも20年前から俳優としての準備は出来ていたヒトだ。世間に認知されたのが最近なだけで、アタシはずーっと「なんでこんなに芝居が出来て面白いヒト達が食っていけねえんだ?」と不思議だった。現在、岩谷さんは内装仕事に来なくなったがその事が、すごく嬉しい。(ちょっとさみしくもあるけどね)それを言ったら「またバイトしなきゃいけなくなるから、それまでは遊ばせてよ」って言っていた。その意識って大事だよな。
某日、無職渡世。起きたら腰痛。解体作業のせいだろうか。朝、倅を学校に送って実家に顔を出して、じいちゃんの様子を聞く。「熱は下がったし原因の検査をしてるけどまだ結果が出ないから、しばらく入院じゃないか?」と親父が言っていた。まあ、大事に至らず良かった。帰ってカミさんに話すと「そんな事より、何故うちにいる」とお休みを詰められる。「や、現場がないんだよ」と言い訳していると、カミさんはアタシの手帳を確認し「おい、なんだ舞台挨拶って? 金にならない事はやめろってあれほど言ってるじゃねえか便所役者!」と言われる。『便所役者』というニューワードに笑っていると、「笑い事じゃねんだよ!」とカーペットローラーのコロコロで引っ叩かれる。コロコロって固くて痛い。痛い事は嫌なので便所役者は早々に逃げ出すのだ。府中で班長(山本浩司)さんと水澤紳吾さんとお茶。いつもの喫茶店「シャガァル」で会ったのだが、水澤さんが体調不良で早々に帰宅。顔色が悪く辛そうだったので心配だったが、急性胃腸炎だったそうだ。大事に至らずよかった。班長さんと脚本の直しの打ち合わせ。最近班長さんがやる気を出し、ズーッとウダウダしていた10年前の班長さんとアタシの話を映画脚本にしているのだ。これが面白い。この面白い話を更に面白くして、映画化するために色々と話す。班長さんは学生時代から監督もされていたし、これも監督してほしいなあ。アタシの役はアタシがやれると思っていたが、「や、無理でしょ、若くないし」と班長さんの一言で却下される。残念。夜、新宿三丁目の焼肉屋「だるま屋」で、『2nd』編集長の上田くんと嶺豪一くんと、忘年会を兼ねての打ち合わせ。今後の連載の流れと、山形遠征の話を詰める。「だるま屋」はジンギスカンの店で、肉が美味くて打ち合わせより肉を食うことに集中してしまいガチだった。あぶねえ。2軒目のバー「無頓着」でカメラマンの行武くんも合流。山形遠征の日程も詰める。さあ、いよいよ埋蔵金の実地調査だ。楽しみで心踊る。終電で帰る。